「やった」課

「やる」と心の中で思ってたら、すでに行動は終わっていたんだ

「SNSで一目置かれる 堀潤の伝える人になろう講座」を読んで【書評】

読みました。

一目置かれてみたかったものですから…

ポイントは「伝え方講座」じゃなくて「伝える人になる講座」ってところかな。以下概要と感想をば。

 

 

概要

伝えるスキルを身につけることは、裏を返せばフェイクニュースを見抜き、正しい情報を受け取れることにつながる。
本書はジャーナリスト・堀潤が開催する人気講座を大幅に加筆し書籍化。
ネット社会における情報の受発信のノウハウを伝授する。

(引用URL:https://www.amazon.co.jp/

堀潤さんはもともとNHKアナウンサーの報道担当でした。しかし"大きい組織では実現できない、新しいメディアをつくりたいという強い思い"から個人発信メディア8bitnewsを立ち上げ、のちにNHKを退局。「伝える人」たちとともに報道とメディア環境づくりを続けているジャーナリストです。NHKのイメージとは真逆の熱い人ですね。。

そんな堀さんが2016年からはじめたワークショップ「伝える人になろう講座」をもとに書籍化したのがこの本。
講座では「伝える人になる意味を考える」から始まり、実際のテクニック、また1次情報を受け取るという意味で様々な問題の"当事者"をゲストとして読んでお話を聞いたりアクションを起こしたそうです。

堀さんは自身が伝えることに加えて「伝える人が増える」ことを大切にされているようです。その人が実際に体験して感じたこと=1次情報にはそれだけで大きな価値がある、そして自分の感じたことを発信するのは、SNSが普及した今とてもハードルが低く、そしてリスクと隣り合わせである、と念入りに説明されています。


そんな「伝える人」のプロ中のプロである堀さんが特に大切にしている「2つの基本」について、ここで紹介します。

 

伝える人の「2つの基本」

SNSを介して発信するうえで、炎上や悪影響を及ぼすリスクを抑え、発信に説得力を持たせ、単なるエンタテイメント消費で終わらせず問題解決に向かうための基本だそうです。個人的には完全に同意でした。

1. 大きい主語 より 小さい主語

「大きな主語」と言われてピンとくるでしょうか。例を挙げるなら「今の若者は草食化してる」とか「日本死ね」とか「男は」「女は」「白人は」「黒人は」「都民は」「田舎者は」…そういうのです。

つまりその要素に多くの人を含む属性と言い換えることができるでしょう。逆に言うと「小さな主語」の究極は個人。「その事件の被害者Aさん」「当時被災し避難所生活をしていたWさん」など、特定しきることです。


なぜ大きな主語がまずいかと言えば「余計な誤解や対立を招く」とのことでさらには「何も言ってないに等しい」とのこと。これ私は無茶苦茶同意で思うところあるので後述します。

 

2. オピニオン(意見)よりファクト(事実)

具体的にはファクト:オピニオン=8:2がよいのだとか。オピニオンを持つなということではなく、何か問題を解決に向かわせたいならファクトで伝えよう、ということ。

熱いオピニオンは人に読まれ拡散されやすいのかもしれないけど、オピニオンだけではエンタテイメントとして消費されてしまったり、炎上の憂き目にあいやすい、というデメリットがあるそうです。
たしかに調子のよい意見を読むと「…んでソースは?」とか言いたくなるもんね。。

 

このほか本書では、発信する時の基本的心構えから、実際の写真・動画撮影でのテクニックなどを紹介しています。

もっともそれらはスキルを身に着けるための、というより現場に出るための準備、って感じがしますね。実際にはインタビューなどの現場調査を通して、人とよりよく関わるための感覚を養っていくことが、伝える人になる順番なのかな、と思いました。以下感想。

 

感想など

大きな主語はなぜ悪いのか

これほんとSNSとか見ていて気になってしょうがないんですけど、大きな主語使って、人と人との断絶を煽る人ほんとイヤなんですよ。悪影響が大きすぎる。
本書でも誤解や炎上のリスクがって説明されてましたけど、実際はもっと巨大な悪感情を巻き起こしやすいんじゃないか。なんで大きな主語がダメで悪影響が大きいか、ぱっと思いつく理由が3つあります。

差別的になりがち

「差別」の定義にもよりますが、私は差別とは「ある属性に対してレッテルを張る行為」と定義しています。(以下別ブログ)

www.m-w-matrixa.com

「(人物)は(属性)だから(レッテル)」みたいな構造、たとえば
「たかし は 黄色人種 だから お断り」とか
「たけし は 男性 だから 暴力的です」とかそういうこと。

そんな人の一部の属性を切り取って低く評価したり自由を制限することは、誰が誰に対してもすべきではないと思うのです。それが100%事実ならまだしも…

正確な事実ではない

多くの人数を巻き込むくせに正確ではないんです。
平均的に〇〇な傾向がある、といえばまだわかりますが、そうでなく「〇〇なんてみんな××」と範囲とレッテルを断定するのは正確な事実ではないです。ほぼ間違いなく例外があります。

事実でなく人を断定し巻き込む時点で誤解が広がる元だし、主語の大きな発言自体、事実を正確に把握できていないということに他なりません。発言者は周りから知性を疑われるでしょう。 

そんなふうに差別的で絶対おかしいにも関わらず

人の心にスルリと刺さってしまう

「近所のXさんは 頭がおかしい」より「男性/女性 は 頭がおかしい」のほうが自分のこと?と感じてしまうのは、まあ当たり前ですね、自分は「近所のTさん」ではないわけですから。

ただ「おまえは頭がおかしい」という名指しより「男性/女性 は 頭がおかしい」のような特定の属性について言及するほうが、人の無意識に影響を与えやすくなってしまうんだそうです。

これは心理学でいうところの「逆メタモデル」という言葉の作用を持ってしまうためです。自分という唯一の存在でなく曖昧な属性について言われると、意識がどう思考するかは別として、催眠的に無意識は影響を受けやすくなってしまうのです。

 

つまり不正確な差別で人の心のやわらかいところを傷つけやすい、ということです。これを平気でやる人が心底イヤなんです。。。

でもやりがち

大きな主語で発言してしまう人だって、必ずしも悪気があるわけではないと思います。

きっと人間の「わからないことは知りたくなる」「いくつか例が集まるとそこからパターンを作って理解しようとする」性質が、主語を大きくさせてしまうんだと思います。そこに感情が乗っかったらなかなか止まれません。


SNSで一目置かれる伝える人になるためだけでなく、普段から主語の大きさ、正確さに慎重でいようと、日々気を付けています。

 

 

対談よかった

個人的には巻末のほうの対談「伝える人になるってどんなこと?」に膝を打つフレーズが多かったです。以下一部抜粋。

”その場に言って何かの実感を持つことで、どんどん心を豊かにするための起点ができてくるんじゃないか―――”
P234 堀潤さん 

 "主語が小さいだけでものすごく円滑に話が進むし、記事のクオリティーや伝えたいことの角度も変わってきた。僕はこれを「小さな主語革命」って呼んでる"
P239 高橋ケンジさん(「恵比寿新聞」編集長) 

"伝えたい相手を思って、いかに捕りやすいところにボールを投げてあげられるか"
P247阿部広太郎さん(コピーライター)

"やっぱり伝えるって一人でやるものじゃないんだなって。考える過程とか、形にする過程で誰かとつながったりコミュニケーションしたりしていくと、よりいい形になっていくと思う”
p251 堀潤さん 

私は本読んで、ひとりでウンウン考えて、思うままに書き散らかして、ほったらかしてばかりなので、こう、グサグサっときましたね。。。

 

 「中立」ってなに

 「中立とは議論を知って議論を続けること」という言葉が紹介されてました。

これを読んで一瞬「結論を先延ばしにするの?いやだな…」って思ったんですが、「つねにファクトを集めながらリバランスし続ける」と解釈するとしっくりきました。
本当最近はググって正解探しがちになっちゃうけど、状況はつねに揺れ動くものだから、永続する正解なんて社会にはないんだよな。

 

個人的まとめ

・主語は極力小さく

・ファクト8割で

・現場で人とかかわって、伝える人になる!

 

くれぐれも「頭よくなった気になりたいだけの評価する人」にならないように気をつけます。。笑

以上、情報共有でした。

さっそくオピニオンが5割になってしまいましたけど