「やった」課

「やる」と心の中で思ってたら、すでに行動は終わっていたんだ

左門くんは終わる

 

「左門くんはサモナー」が終わりそうだ。

 

掲載順位があまりよろしくないし、最近の回は漫画としての切り札的伏線をガンガン切ってる感じ。いやがおうにも終りの近さを感じさせる。

 

ジャンプで一番愛着をもっていた漫画だけに残念でならない。

 

 

左門くんはなぜ終わってしまうのか

左門くんはターゲットがあいまい

 

「左門くん」は、だれが応援する作品なのかがわかりづらかった。

 

女性キャラの水着・風呂・温泉などのサービスショットもあれば、男性キャラ同士のソレっぽいのを想像させうる展開もあり、フツーに男女キャラの恋愛の雰囲気もあり…

 

腐女子向けなのか、男性向けなのか、よくわからなかった。

 

それは「左門くん」の面白さの要素(後述)でもあるんだけど、熱烈なファンは生み出しづらい。
自分向けの作品じゃない…と感じてしまうと応援する気がなえてしまうもの。

 

たぶん、そこそこ読めるし面白いから読んでるけど、アンケートには書かない・単行本は買ってない、というジャンプ読者は多いんじゃないかな。

 

左門くんは懐古厨

 

左門君にはやや古株程度のネット住人にはよくわかる2ch・アニメ漫画ネタが各所にちりばめられている。わかる人にはちょっとした親近感が感じられる作品だ。


ただ現状、2chはピークをとっくに超えたコンテンツである。
2ch・漫画アニメのパロディネタ自体が今のジャンプ読者に刺さらない内輪ネタになってしまい、空滑りしてしまったことは一度や二度ではないだろう。

 

というかそういったパロネタ全体にも若干の飽きが来ている。

ライトノベルあたりで食い尽くして、慣れてしまった感があるのだろう。

 

個人的にはそういうネタを見かけたときには面白いというよりも懐かしい気持ちになってしまう。(あと歳のせいもあるかもしれないが、何か妙にはずかしい)

 

一方でオタク要素を持つ身としては、そういうネタを使いたくなる気持ちも非常によくわかるから親近感は変わらずにある。もどかしいところだ。

 

左門くんは人っぽい

 

キャラクターに人気が出てほしい気持ちはお察しするが、さすがに悪魔たちのデザインに悪魔感がなさすぎる。
あれなら超能力をもった一般人と変わらない(サタナキア、アガリアレプト、メガネ、宰相、他)。


デザインにはちょっと人っぽくなくてキモイというか、抵抗感のある要素が少しでもあったほうがスパイスになって、昨今の目の肥えた読者たちにはグッとくるものがあるだろう

(モノ好きよ)


あるいは本気モードへの変形、みたいのがあればまだキャラクターたちへの印象が変わったかもしれない。

  

左門くんは悪魔なんかじゃない

 

「それが君の望みなら」ってほとんど言わなくなっちゃったね。

 

序盤のテンプレであった「登場人物の欲望を悪魔的に叶える」展開は途中からなくなってしまった。
いうなれば左門くんがファウストのメフィストフェレス、あるいは笑うせぇるすまん的な働きをする展開だ。

 

序盤は要所にそういう「毒」があっていい刺激になっていたのだが、次第になくなっていった。
左門くんは傍観者になり、人に認められたい普通の人であり、人の欲に興味がなくなってしまったようにも見えた。


まあそのへんの作品の方向性は好みにもよると思うんだけど、僕自身は序盤の悪魔より悪魔的な左門君がとくに好きだったので、ちょっと残念という話。

 

左門くんはストレス耐性がない

展開に大きなストレスをつくれなかった。

ここは「左門くん」のかわいいところでもある。

 

というかアイマスPである作者の悲しいところである。

 

「左門くんはサモナー」の作者である沼駿氏は、アイマスP(プロデューサー)としてニコ動などで有名な人物でもあるらしい。

 

アイマスPとは、好きなゲーム男キャラが出るだけでキャラを穢されたと怒り狂い、

渋谷でイベントをやるといえば我々には怖い土地だと声優を罵る

まあ理不尽な天災のような、厄介なユーザーの典型のようなものである。

 

作者沼駿氏がどんなスタンスのPなのかはわからないが、どちらかといえばそっち側であったろう。

そんな彼が完全オリジナル作品の作り手となったときにめんどくさい繊細な読者を想定して、誰も傷つかないように異常なまでに配慮してしまうのは、自然な成り行きだ。

 

結果としてその配慮が、展開の緊迫感を失わせた。

恋愛やシリアス展開の踏込み加減は浅くなり、キャラ設定は架空の処女厨が発狂しないように最大限配慮された(ナッキー・アレアガレプト・ベルゼブブ他)。

それは「左門くん」全体のやさしい雰囲気を作り出し、起伏を平たんにした。

 

左門くんは面白い

左門くんは絵がほんといい

 

絵がうまい漫画は眺めるだけでちょっと幸せだ


「左門くん」は超絶技巧で描かれる漫画ではないけど、立体を立体として、人体をしっかり人体で書く、それでいてデフォルメがポップでかわいい読みやすい絵だ。シリアスな顔も程よく見ごたえがあって好き。

作品の人気に大きな役割を果たしたのはいうまでもないだろう。

 

左門くんはやさしい人に囲まれている

 

「左門くん」には基本的に悪いやつがいない。

さらに言うとサブ以上の役割を持つキャラクターに気の狂ったようなやつはほぼいない。


クズカスという言葉が飛び交う中にも根底に思いやりがあり、まともな思考をするキャラクターばかりなので、読んでいてストレスが溜まったり疲れることがない。

 

そういう、「力を抜いて読める」という意味では最近の流行りに即していて、もっと人気がでてもいいような気もする。ジャンプらしくなかったか?

 

左門くんは話の構成が巧妙

「左門くん」は伏線を張って回収する、というプロセスをきっちりやる作品だ。

 

全体のストーリーも、作中の「左門くんを知っていく物語」という記述にていねいに基づいている。

 最近回収された手袋・オッドアイ(隻眼)のこともそうだし、1話完結の中でも序盤に張った伏線をきっちり終盤で回収している。


基本的に話づくりに丁寧さと上手さがあって、それが読者に小気味よさと安心感を与えてくれる。

 

左門くんは話の幅が広い

 

基本コメディだが、かわいい恋愛、シリアス気味のバトル、パロディ全開(!?)、なんでもありだ。

 1話ごとの印象が全然違うこともあり、いい意味で飽きさせない。

 

たぶんうまくハマればどの読者層にも刺さる作品を書ける作者なんだろうな。ちょっと迷走気味で落ち着かなかったけど。


おっ作者こんなのも書けるんかい^^

というちょっとメタ的な楽しみ方がしやすい作品が左門くんなのだ。

 

 

左門くんは内面が気になる

 

左門くんにはジャンプにありがちなインフレの要素はない。

 

あるのは左門くん・てっしーをはじめとした登場人物の心の動きだ。

 

誰がどんな理由で心が動いて行動を起こしたのか。表情や言葉には含みと意図があり、読者の想像を膨らませる。

 

戦いが必要な漫画ではない。でも左門くんが自分自身の「欲」に素直に向かっていく最近の展開には、なにか微笑ましいものを感じる。

  

 

左門くんは終わってほしい

 

以上延々と述べてきたが、全体的にはパロディや強烈なデフォルメでふざけたギャグをやっているようでいて、その実真面目に作品作りをしているというのが「左門くんはサモナー」に対する印象である。

 

今のジャンプ作品で一番愛着があった。ずっと読んでいたいとも思う。

でも延命することが漫画そのものの理想とは限らない。ジャンプ漫画ならなおさらだ。

 

最近のやや急なシリアス展開も、ここぞとばかりに伏線を回収するせいかとても面白い。このまま突っ切ってほしい。(作者には申し訳ないが)

 

あと何話で終わってしまうのだろうか。
この、あともう少し長く読みたかったのに…というさびしさに似た気持ちが、左門くんをいつまでも僕の中に息づかせてくれるだろう。

 

あとはてっしーの地獄への落ち方に注目するばかりだ。

天使ヶ原先生の落下芸にご期待ください!! 

 

以上、ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

 

左門くんはサモナー 1 (ジャンプコミックス)
  by カエレバ

 

左門くんはサモナー 5 (ジャンプコミックス)
  by カエレバ
左門くんはサモナー 8 (ジャンプコミックス)
  by カエレバ